ボクはやっと認知症のことがわかった
たまたま本をいただいたので、一読してみました。特に印象的な内容が2点。
『固定したものではないわけですから、ひとたび認知症になったら(...略)、周囲も、「何もわからなくなってしまった人間」として、一括りにしないでいただきたいのです。(p. 68)』
我々はよくわからないものに対してラベリングして、なんとなく自分をわかった気にさせ、考えることを避けていることが多いように思う。それは認知症の人に対しても同じじゃないか。『認知症の本質は「いままでの暮らしができなくなること」(p. 43)』である。周囲の人は認知症の人本位のサポートをさりげなくしてあげる必要があり、それは簡単なことじゃない。「認知症の人」「非認知症の人」と過度に単純化された分類によって自分と区別し、人それぞれの適切なサポートを怠ることはあってはならない。「認知症の人」と「非認知症」の人は連続的である意識を持たねばならない。...「認知症」って言葉を与えちゃうだけで、こうも思考をさぼってしまうとは。
『「聴く」というのは「待つ」ということ。そして「待つ」というのは、その人に自分の「時間を差し上げること」(p. 70)』
「認知症の人」も「非認知症の人」と同様に考えていることがあるが、意思表示に時間がかかる場合がある。「認知症の人」に対して自分からどんどん話をすすめてしまうと、「認知症の人」は戸惑い、混乱して、自分の思っていたことがいえなくなってしまう。周囲の人は「こうしましょう」と言うことで思考を制限せず、「今日は何をなさりたいですか」と聴くことで自分自身で考えてもらい、その回答をじっくり待つことが望ましい。
普段から会話を前に進める立場にある人ほど、「待つ」ことで自分の「時間を差し上げる」意識を持つべきではないか。この話は、「認知症の人」と「その周囲の人」との間に限った話ではない。議論を進めていく立場にある人間(上司、先生、頭の回転が早いためによく友人間の決めごとを担うヤツ...)は、できる限り周りの意図を汲むという難題を抱えがちだろう。周りの人が何を考えているかを理解するために、自分の時間を差し上げる覚悟を持つ必要があろう。それにしても、「時間を差し上げる」って紳士的でいい言い回しですわ。