『反省』でなく『内省』

リフレクション「内省」
野村マネジメント・スクール学長・専務理事 中島久雄


今回は、2022年10月19日にNRI JOURNAL で公表された上記の記事を読んで印象に残った点を取り上げたい。

1. 内省とは

反省と内省。似ている言葉であるが、その意味は包含関係にある。

  • 「内省」とは、自分が体験したり、決断したりしたことを、自分自身で振り返り、そこから将来の意思決定に役立つ経験則を抽出して体得することである。

  • 「内省」は、問題点にのみ焦点を当てて改善点を探す「反省」とは異なる。客観的に振り返り分析した後は、今後も続けることと、やめること、付け加えることに分けて、経験則を整理する。

あえて『内省』という言葉を使うことで、良かったために継続すること、さらによくするために付け加えることを意識できる。『反省』は『内省』の中の一部の概念に過ぎない。

2. 内省を習慣化するために -aim for good enough-

  • バダラッコ教授が100人以上の経営者にインタビューをしてたどり着いた最も重要なコツは、「ほどほど」を目標にする、である(英文では「aim for good enough」)。

  • そのときに結論が出ないときは、事実を綴っておくだけでもよい。最善は善の敵。

『内省』に限らず、物事を習慣化するための鉄則であることだよ。

ブログを通じてやっていきたいこと

こんにちは、渦助です。

 

今日は、このブログを通じて自分自身が何をやっていきたいのか、表明したいと思います。

 

【自分がブログ継続を通じて実現したいこと】

・興味のある分野、コンテンツの開拓

・上記理解の掘り下げ

・自分自身の意見の言語化

・文書作成慣れ

・アウトプット前提のインプット習慣の体得

 

こういったところでしょうか。一日一記事を目標に、日々励んでいきます。

国土強靭化年次計画2022の概要-2

2. 年次計画2022の主要政策

 

・流域治水対策

・インフラ施設等の耐震、津波対策、老朽化対策

・高規格道路のミッシングリンク解消

・災害関連情報の予測、収集、伝達の高度化(防災IoTの構築/ロボット、ドローン技術/スマホを通じた避難情報提供)

・盛土による災害の防止(詳細調査、対策工事)

・避難生活支援・防災人材育成エコシステムの構築

 

3. 5か年加速化対策の進捗管理

 

・2年目で7.2兆円/15兆円

 

①風水害、大規模地震への対策 12.3兆円

②予防保全型を目指す老朽化対策 2.7兆円 

③デジタル化推進 0.1兆円

 

【気になったポイント】

・防災に関する地域の専門人材とは。どこに所属する、何ができる人のことを指すのか。

・予算配分をどのように決めるか。

 

国土強靱化年次計画2022の概要ー1

1. 2022年度の取り組みのポイント

 

(1)プログラム推進のための施策の充実・強化

①5か年加速化対策の推進

・令和4年度までに約7.2兆円を確保。

・国庫債務負担行為(※)の柔軟な活用等を推進。

(※)国が研究期間分だけ継続的に負担すること。

 

②地域の強靱化の推進

・地域計画は97%の自治体で策定が完了。

・「目指すべき将来の地域の姿」を示し、実効性地域計画へ改善すべき。

 

③官民連携の促進と「民」主導の取り組みの活性化

・災害発生後に民間企業主導で災害復興を可能にするべき。

 

④広報・普及啓発活動の推進

・理念や効果のわかりやすい発信(中身)

・情報発信手法の検討(媒体)

・関係機関による主体的な取り組み(主体)

 

⑤個別重点事項

・気候変動への対応

・予防保全等による老朽化対策

・防災研究におけるニーズとシーズを把握

・過去の災害の原因、防止策を検討(R3.7月豪雨/福島県地震)

 

(2)国土強靱化基本計画の変更に向けて

 

・現在の基本計画策定から3年経過したことに鑑み、時期基本計画の見直しの検討に着手

・見直しにあたり、これまでの取り組み/国土強靱化の理念/社会情勢の変化/近年の災害からの知見/地域や民間の取り組み/計画体系のあり方 等の議論が必要。

 

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【気になったポイント】

①-A 予算7兆円でできることは?これで十分なのか足りないのか。

②-A 地域計画策定は97%の自治体が終えている。目指すべき姿が曖昧な状態で、妥当な計画など立てられるのだろうか。

③-A どんな民間団体が国土強靭化を担っていくのだろうか。鉄道会社とか?

④-A 関係府省庁とは具体的に?内閣府国交省農水省あたりかな?

 

 

本当に気軽に空を飛べるようになる??《朝日新聞2022/02/16 経済》

ANAも夢見る「空飛ぶクルマ」米企業・トヨタと提携

  • ANA、米ベンチャー「ジョビーアビエーション」、トヨタの提携により「空飛ぶクルマ」の実現を目指す
  • 垂直に浮き上がる小型航空機「eVTOL」は、最大航空距離約240km、最高速度は時速約320㎞で、24年に米国で実用化予定
  • ANAHDはパイロットの育成、航空管制ノウハウの提供、離着陸場の整備
  • トヨタは離着陸場からの地上交通の提供
  • 運行のルール作り、騒音や安全面で地域住民に受け入れられるか、などが課題

 

このトピックに関して、そんな夢みたいな話があんの?って思うし、具体的にどんな問題があるのかな、って想像してみる。

 

まずそもそも、どういう形で、どれくらいの規模で導入するんだろう。

 

「空飛ぶ車」は垂直に離着陸し、ヘリコプターやドローン、小型飛行機の要素を併せ持つ電動の機体(eVTOL=イーブイトール)。運用・メンテナンスのコストを抑えつつ、安全性・環境性・静粛性などに優れ、道路渋滞や過疎地の輸送など、さまざまな交通課題を解決できる新たな移動サービスとして注目されている。

訂正-ANAが「空飛ぶ車」でトヨタ出資の米企業と提携、事業化へ前進 | ロイター

 

「道路渋滞を解決する」イメージで考えてみる。そうなるとバスの本数程度には動いている必要がありそう。それだけの台数の小型飛行機を同時に運行するとなると、地上同様に交通整備が必要だよね。上空の交通秩序を空想してみる。

    • 地上からエレベーターのように垂直に上昇する(何階もある。地上がいくつも複製できるイメージ)
    • 地上と同様に道路(空路?)が整備されている階層もあれば、台数を制限して、目的地まで直線的に行けるような階層も存在する

...夢が膨らむなあ。上の実現には、

    • 空中にも皆が共有できる位置座標が必要(精度のよいGPSで実現可?)
    • 交通事故リスクを限りなく0にする(やはりプロのパイロットが運転せざるを得ない?)

くらいは最低限必要だよね。パイロット育成が大事になる未来が近い...?

 

意識の奥に隠れた自己...?

『人柄の美しさも「意識の奥に隠れた自己」のようなものが決定するのかもと。とすれば、人は顕微鏡に代わるものを既にその視線の内に備えていることになる。(朝日新聞 2022.02.06 朝刊)』

 

「意識の奥に隠れた自己」ってなんだろう。「話し相手の目が笑っていない」ことに気づく場合があるが、「目」から「意識の奥に隠れた自己」がわかる可能性を感じる。今回は「話し相手の目が笑っていない」と感じた場合に、頭の中でどう整理されているかを考えてみる。

 

まず、相手の「目が笑っていない」という表現について、一般的な意味合いはどういうものだろう。「目が笑っていない」ということは「目以外は笑っている」ということであり、つまり表面上は笑顔を取り繕っているように見える、ということだ。また、ここで人の内面を象徴する「目」は笑っておらず、実際にはこの人は楽しんでいないと思われる、ということだ。

 

ここで、上の議論のように、「目」から感じられることを「笑っている」「笑っていない」といった1本の軸で検討してはいけないと思う。恐らく我々は目からもっと多次元の情報を受け取り、その情報から相手の内面を感じ取っているんだと思う。(じゃあ他の軸って何?)

 

結局、「目が笑っていない」と感じた状況で頭の中でどう整理されているかは意識できないものなのか。少なくとも、「笑う」「笑わない」といった1次元の検討ではないことはわかる。他の軸が何かわからないから、鷲田さんも『「意識の奥に隠れた自己」のようなもの』といった言い方をせざるを得ないのかな。

ボクはやっと認知症のことがわかった

KADOKAWA「ボクはやっと認知症のことがわかった」

 

たまたま本をいただいたので、一読してみました。特に印象的な内容が2点。

 

『固定したものではないわけですから、ひとたび認知症になったら(...略)、周囲も、「何もわからなくなってしまった人間」として、一括りにしないでいただきたいのです。(p. 68)』

 

我々はよくわからないものに対してラベリングして、なんとなく自分をわかった気にさせ、考えることを避けていることが多いように思う。それは認知症の人に対しても同じじゃないか。認知症の本質は「いままでの暮らしができなくなること」(p. 43)』である。周囲の人は認知症の人本位のサポートをさりげなくしてあげる必要があり、それは簡単なことじゃない。「認知症の人」「非認知症の人」と過度に単純化された分類によって自分と区別し、人それぞれの適切なサポートを怠ることはあってはならない。「認知症の人」と「非認知症」の人は連続的である意識を持たねばならない。...「認知症」って言葉を与えちゃうだけで、こうも思考をさぼってしまうとは。

 

 

『「聴く」というのは「待つ」ということ。そして「待つ」というのは、その人に自分の「時間を差し上げること」(p. 70)』

 

認知症の人」も「非認知症の人」と同様に考えていることがあるが、意思表示に時間がかかる場合がある。認知症の人」に対して自分からどんどん話をすすめてしまうと、「認知症の人」は戸惑い、混乱して、自分の思っていたことがいえなくなってしまう。周囲の人は「こうしましょう」と言うことで思考を制限せず、「今日は何をなさりたいですか」と聴くことで自分自身で考えてもらい、その回答をじっくり待つことが望ましい。

 

普段から会話を前に進める立場にある人ほど、「待つ」ことで自分の「時間を差し上げる」意識を持つべきではないか。この話は、「認知症の人」と「その周囲の人」との間に限った話ではない。議論を進めていく立場にある人間(上司、先生、頭の回転が早いためによく友人間の決めごとを担うヤツ...)は、できる限り周りの意図を汲むという難題を抱えがちだろう。周りの人が何を考えているかを理解するために、自分の時間を差し上げる覚悟を持つ必要があろう。それにしても、「時間を差し上げる」って紳士的でいい言い回しですわ。